対談形式の文章に見出しはいらない
対談形式の文章において、見出しはいらないと思う。
対談形式っていうのはたとえば以下のような文章。記者の山田さんが冒険家の佐藤さんにインタビューしている。
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旅は自分を見つけるもの
山田:今回の旅はどうでしたか?
佐藤:大変でした。でも…
(中略)
佐藤:旅をするたびに新しく自分の知らない一面が見つかるんです。だから旅は自分を見つけるものなのかなって思いますね。
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みたいな。
さて、この二人の対談が佐藤さんの一人語りの冒険談と異なる点はなんだろうか。
一人語りの場合、語り手(冒険家佐藤さん)は伝えたいことに向けた話を組み立てるため、話の流れは直線型になる。
この場合は文章の頭に見出しがあると、話の本筋がわかりやすく内容を誤解することなく読み進められるだろう。直線の終点をまず始めに定めてやることで、たどるべき方向がはっきりと見える。
一方で対談形式の場合は、一人の話者の発言もしくは質問を、別の話者が否定することがある。つまり話は一つのゴールに対して一直線なのではなくて、何度も折れ曲がりながらゴールへ向かう。話の流れは折れ線型になるだろう。
ここで見出しによって先に終点を示すと、読み手はそこに向けて話が展開されるのを今か今かと待ち続け、考える必要が生まれてしまう。場合によってはミスリーディングも起きかねない。
結果として、読みにくい文章になる。
長すぎる文章を区切る目的で見出しを入れられることも多いのかもしれないが、
それならば行間を広くとるか、線でも入れておけば読む側は「ああ、ここからは異なる話なのだな」と理解するだろう。